カラオケ喫茶 アンソロジーノート (23) 12月8日ジョンレノン33回目の命日
1980年12月8日ニューヨーク自宅前でマーク・チャプマンに射殺された。
享年40歳。もう33年も経つのかと時の流れに驚かされる。生きてりゃ73歳
12月8日という日は米国にとってパールハーバーと共に忌まわしい日となった 。
また日本のビートルズファンにとって1980年という年は忌まわしい年となった
同年1月にポールが1966年以来の来日公演が成田で大麻取締法違反で逮捕され中止となった。
実は知人に頼んで結構いい席のチケットを購入していた。白地にポールマッカートニー。場所 は武道館だったと思う(当時は東京ドームはなかった) それが不吉の予兆か?まさか年末にあの衝撃的なニュースをテレビで見ることになるとは! 数々の有名ミュージシャンがドラッグ死や自殺などのスキャンダラスな死を遂げてもビートルズ の4人はそういった事は絶対あり得ないと思ってた。
「まさか!」の後絶句した。 ケネディ暗殺以来のビックニュースで連日テレビや新聞、マスコミを賑わしていた。
ビートルズの4人の中では最初は圧倒的にジョンが好きだった。枯れた声で歌うロックンロール 。
「ガール」の哀愁を帯びた声。「ヘルプ」「涙の乗車券」よく通る響き渡る声。ジョンの歌声が
好きだった
時流れと言うものは人の評価すっかり変えてしまう事があるビートルズ解散の原因のひとつとされ ジョンとポールの不仲を招いたオノヨーコ
ポールはジョンが彼女をレコーディングに同行さ せるのを嫌ってた。 (ポールは愛妻リンダをミュージシャンとして育て上げレコーディングやツアー をメンバーの一員として参加させた)
しかし日本やニューヨークでジョンを偲んでコンサートを主催する彼女を今ではそんな目で見るさ人 はいないだろう。
余りにもたくさん書きたい事があって取り止めのない文章となりそうなのでこの辺でやめときます。
最後に不仲のジョンとポールがお互いを中傷しあってた頃のジョンの言葉 「あいつの悪口を他のやつが言うのは許さない。あいつの悪口を言っていいのは俺だけだ」