大和レジデンスオーナーの独り言 (35) あれから68年 暑い夏 (1)
8月6日 「広島 原爆の日」 8月9日 「長崎 原爆の日」
8月15日 「終戦記念日」
あれから68年。生まれたばかりの赤ん坊も68歳。
そして6日から15日の10日間は日本が一年中で一番暑い日が続く。
私が子どもの頃そしてつい最近も聞いた。広島から海を隔てた数十キロ先の愛媛の
海辺の人達の原爆のきのこ雲の目撃談を。その正体は米国の新型爆弾「ピカドン」
だと知る。あまりにも異様な光景で大変な事が広島で起きてると目撃者は思ったが
市中心部を破壊し人口約35万人のうちその年末までその4割の人が亡くなる恐ろしい
ものだとは想像さえ出来なかった。
「核兵器は絶対悪」 松井広島市長は断言する。
そして平和宣言で原爆孤児となり苦難、孤独、病に耐えながら家族も持てず孤老と
なった人の言葉を紹介する。「生きていてよかったと思った事は一度もなかった」
このような事をこの世に命を授かった者に言わしめていいのだろうか!
義母が被爆者手帳を持っている事を知った途端「被爆した嫁は要らん!」と無理矢理
離婚させられた女性のことも述べた。(被曝で奇形が生まれると優しかった姑が鬼にな
る瞬間だ)
被曝という苦しを乗り越え幸せをつかんだと思ったら理不尽な差別と偏見が苦しみの
鎖となって心に絡み付く。
今年4月の核拡散防止条約再検討会議委員会で核兵器の非人道性を訴える共同声明中の
「いかなる状況下でも核が再び使用されない事が人類の生存に利益となる」の部分が
米国の核の傘の下にある日本政府に引っ掛かり他の核保有国と共に賛同しなかったこと
につき(80国余りが署名した)
松井市長は核兵器の非人道性からその廃絶を求めている国が増えている。ヒロシマは日本
政府がそれらの国々との連帯を強化することを求めるとの表現に留まったが
田上長崎市長は平和宣言で世界の期待を裏切った。核兵器の使用を状況によって認める
という姿勢では被曝国の原点に反すると糾弾した。
安部首相の広島、長崎のあいさつでメモを読みあげながらの「非核三原則を堅持しつつ、
核兵器廃絶に、世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことを誓う」虚しく心に届かない。
一方「平和への誓い」で広島のこども代表は
もっと、知りたいのです。被曝の事実を。被曝者の思いを。
もっと、伝えたいのです。世界の人々に、未来に。
平和とは安心して生活できること。
平和とはわたしたち自らつくりだすものです。
長崎の被曝者代表は
私はこれからも被曝の実相を次の世代に伝えていきます。核兵器も戦争もない、平和な
世界をつくることは私たちすべての大人の責任です。
被曝者の思いとそれを受けとめ平和の思いを世界に広げようとするヒロシマ、ナガサキの
心がひしひしとつたわる。
現在もヒロシマ、ナガサキは多くの被曝者が放射線による癌やその他健康被害に苦しみ
死者の数も増え続けている。