カラオケ喫茶アンソロジーノート (17)
われは海の子
われは海の子 白波の さわぐ磯辺の 松原に
煙たなびく とまやこそ わがなつかしき
住家(すみか)なれ
生まれて しおに 湯あみして 波を子守りの
唄と聞き 千里寄せ来る 海の気を 吸いて童と
なりにけり
高くはなつく 磯の香に 不断の花の かおり
あり
なぎさの松に 吹く風を いみじき楽と
われは聞く
1910年(明治43年)作の文部省唱歌である。
瀬戸内海で育ったので山より海の唄に
馴染みがある。
他にも「海は広いな 大きいな…」
とか「松原とおく…」とかあったが、
この唄が男の子らしく勇ましくていちばん
よく唄った。もっとも文語調で難しくて一番しか
うたわなかったが。
海といえば海水浴の思い出が一番殘っている。
母の里が中島という瀬戸内海の島だったので
小学生の頃迄夏休みには毎年遊びにいっていた。
今の親では考えられないだろうが従兄妹達と
子供達だけで泳ぎに行ってた
従兄は泳ぎが達者だったので沖までいってたが
私はカナヅチに近かったので足の立つ所で陸と
平行に泳いでたから決して溺れることはなかった
が全然上達はしなかった。
町内会で松山市近辺の海水浴に行った記憶もある。
母ちゃんやばあちゃん達も子供を遊ばせる
ために水に膝の辺りまで入ってたがシミーズ?姿
だったのをおぼえてる。当時の田舎の海水浴場では
結構見かけられた風景だったがテレビのニュースで
見た江ノ島のママ達のオシャレな水着姿とはえらい
違いだった。
透き通るような海ではなかった。
少しづつ海の汚染が始まったていたのかも知れない。
最近では香川の海も公害や汚染対策が進み海水浴に
適マークがだいぶ増えてきた。
きれいだった昔の海も取り戻せるだろう。
人間が汚したものなら人間の力で元に戻せるはずだし、
戻さなければならない。
きれいになった海で今の子供達はそして何年後、何十年後
の子供達はどんな「海の唄」をうたっているのだろう?